活動報告ACTIVITIS
ワレ・ジャン神父通夜
2012.12.7
============================================================== 突然の訃報に驚かれた方々も多かったと思います。 このページをつかって参列できなかった皆様に「ワレ神父様とのお別れ」を、お伝えしたいと考え掲載させていただきました。 |
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「光あれ」 このストラの『み言葉』のようにワレ神父は、皆さんの心の中に、そして、日本の社会の中に「灯火をつける」役割を果して下さいました。 パリ・ミッションの宣教師として、来日して50年の間「日本でごくろうさま、ありがとう」と、さいたま教区の司祭団一同は申し上げたい。 以下は、ワレ神父の思い出をたくさん持っている司祭達の一言♪♪ |
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「ワレ神父は、12月 3日日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエルの祝日に亡くなりました。彼は、この日パリ・ミッション会の関東地区の集会に参加。 初めて「さいたま教区司祭・助祭の集まり」を欠席したとのこと。 わたしは、ワレ神父らしくないと一瞬思ったが、バリバリ働いてきたので、ゆっくりしても良いのではないか・・と思い、あまり心配はしなかった。 しかし、夜になって司祭・助祭の集まりに出席していたアントワン神父から電話で ワレ神父が亡くなったとの報が伝えられた時は、全く信じられなかった。 彼は本部からの帰路、車で関越道を走行中、新座料金所から約16�qのところで、心臓発作を起したとみられ、車は中央分離帯に接触して停車。車は速度を落としてハザードランプを点滅、ギアをニュートラルに入れたままうつ伏せ発見されたとのこと。 『彼の死にかたは、彼の生き方に合っていた』『廻りくねった道よりも、近道を選んだ』など、生前の付き合いのあった方々の言葉です。 『彼らしく誰にも迷惑をかけず、そっと立ち去った。』のです。 ワレ神父の天国のイメージは、ワインとチーズで宴会をしているイメージでした。 きっと今は、諸聖人の宴会に参加して、地上の私達のために祈っていることでしょう。 ・・・私達も彼の残した宣教の姿勢を引き継いで、残りの人生を過ごしていきましょう。」 |
参列した司祭たち全員で、サルヴェ・レジーナ (Salve regina) を合唱。 (聖務日課の「終課」で歌われる 4つの聖母マリアのためのアンティフォナの内の一つ) |
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