カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年間第32主日 マタイ 25・1-13

2020.12.8 (日)
神の国の最終的実現に向けて

 11月は、典礼暦年では最後の月になります。今日の典礼のために選ばれた神の言葉は、この世にある人類は神の国の最終的実現に向かって歩んでいることを思い起こさせてくれます。    

 そして、私たちが歩むとき、人間社会を支配しようとして止まない悪の力と闘うために、私たちがいつも目覚めていなければならないことを強調しています。
宇宙の歴史の主である神が、愛によって創られたすべての被造物を統合へと向かわせてくださいますように。その愛から力を受け、福音書を通して伝えられているイエスの生涯、その姿に基づいて、インスピレーションを与えられますように。疑いなく、私たちの闘いは容易な闘いではありません。多くの人たちは理解されず、迫害され、死を覚悟するほどの苦しみを強いられます。イエスや多くの殉教者たちが、善が勝利するために命を捧げたように。

人間のコントロールを超えた出来事
 今日のマタイ福音書の朗読箇所は、24章と共に、世の終わり、終末についてのイエスの話の箇所です。終末とは歴史の終わり、エルサレムの神殿の破壊はその象徴です。世の終わりには、私たち人間がコントロールできない破壊が起きます。これらの多くの出来事は、私たちの油断、あるいは、神が創られた自然を支配しようとする望みによって起きている可能性があります。想定外の恐ろしい出来事が起こり得るのです。
 何世紀にもわたって、様々な出来事がこの地球で起きています。戦争、ペストのような疫病、干ばつ、地震や津波、さらには原発事故などによって、人間の命だけでなく、他の生き物も破壊されてきました。しかし、同じ神の創造の力がこの地球を守り、また住めるようにし、命でいっぱいにしたのです。

今日の福音について(マタイ25・1−13)
 今日朗読されたのは、マタイ25章の冒頭のところです。25章全体は、24章と共に、終末に関するイエスの話の箇所です。「終末」とは歴史の終わり、エルサレムの神殿の破壊はその象徴です。
 スペイン人であるホセ・アントニオ・パゴラ神父の本、「イエス、あなたはいったい何者ですか」(2015年)をご紹介します。日本語訳もドン・ボスコ社から出版されています。500ページ以上もある分厚い本ですが、この本を読むと、イエスに対する印象を新たにすることができます。その姿はもっと人間的で、しかも、深く、神聖なのです。読み進むにつれ、イエスは読者を弟子に変えて行き、イエスと福音をまだ知らない人たちに伝えたくなるようにしてくれます。

初代教会のキリスト者による質問
 最初の世代のキリスト者たちは、復活された主であるイエスがいのちに満ちてすぐ戻られると確信していました。しかし、実際にはそうではありませんでした。長く待つことを強いられるようになった彼らには、次第に次のような疑問が湧くようになりました。
 ・最初のころのあの精神を保つために、どうしたらよいのか。
 ・主が来られるまで、どのように目覚めていればよいのか。
 ・信仰が消えないためには、それをどのように養っていけばよいのか。
婚宴の物語(マタイ25・1-13)は、この質問に答えるための助けになるものです。

花嫁の付き添いと、それぞれの油
 花嫁の付き添いは10人の若い女性でした。彼女たちはランプを灯して、花婿を迎える準備をしました。日が沈む時、花婿が到着したならば、花嫁のところへ連れて行くことになっています。そして彼女たちは花婿の家まで花婿と花嫁に付き添っていく。そこで婚礼のお祝いが行われるのです。
 福音は、あることを強調しています。若者の中の5人は賢く用心している。ランプの火を絶やさないための油を持っていたが、他の5人は愚かで油断し、十分な油を持っていませんでした。花婿の到着が遅れ、真夜中まで待つことになりました。呼びかけが聞こえた時、賢い人たちはランプに油を入れて、花婿に付いて行って婚宴に入ることができましたが、愚かな5人はそのときになるまでそのことに気づいていませんでした。愚かな人たちは後悔する外なかった。彼女たちの灯火は消えそうです。油を手に入れるために祝宴についた時、扉は閉まっていました。遅すぎたのです。

油の意味
 この箇所についてコメントする多くの人たちは、シンボルである油の深い意味を探っています。イエスは、霊的熱意、愛、洗礼の恵みについて話しているのでしょうか。
 イエスの大きな望みを思い出す方が、もっとシンプルにとらえることができるかもしれません:「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。」(ルカ12・49)生きたイエスとの、生きた出会いだけが、私たちの信仰を燃え立たせるのです。
 古い信仰を、イエスの火で新たにしないまま保つことは、無意味ではないでしょうか。イエスのご計画を知らず、その生き方に魅力を感じなかったとしたら、それはキリスト者としての矛盾ではないでしょうか。
 今、イエスとの関係を新たにすることが、緊急の課題です。イエスのペルソナを私たちの生活の中心にして、その助けを大切にする、そして、イエスの福音を遠ざける、あるいは油断させるものに、エネルギーを費やさないようにしましょう。
毎日曜日、御言葉を噛み砕き、イエスを拝領することによって、私たちの信仰の火を灯し続けましょう。イエスの他に、私たちの共同体を変えることができるものはありません。

祈り
 気づくことなく、表面的に生きている人たちが、この世をイエスの教えによって助け合いの社会にする、すばらしい務めのあることを発見することができますように。祈りましょう。
 私たちの父である神よ、イエスが教えてくださったように、今人類を襲っているあらゆる出来事に対して、私たちが責任と希望を持って生きることができますように、助けてください。私たちから、落胆、悲しみや絶望を取り除いてください。御国の建設のために、辛抱強く働くことができますように。
私たちの主、イエス・キリストによって。アーメン。