司教メッセージMESSAGES
諸聖人 マタイ 5・1-12
2020.12.1 (日)
わたしは、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆を見た(黙示録7・9)
今日は年間第31主日、諸聖人をお祝いしています。
カトリックの諸聖人のお祝いと、マゼラン海峡
まず、お訊きします。どの聖人をお祝いしているのでしょうか。疑いなく、洗礼を受けた全ての人、イエスの福音を行動の基準に、真にイエスの弟子として生きた全ての人たちを祝うのです。
このような聖性への理解は、カトリック教会の公式なリストには載っていない聖人聖女を「聖人」とすることになりますが、あえて教会は、この日に全ての聖人と聖女をお祝いしたいのです。
このお祝い日のことはよく覚えています。小学生の時、アルゼンチンのメディア・アグアという小さな村にいました。地理の授業で目を惹かれたものがありました。それは、マゼラン海峡がアルゼンチンとチリの南端のところで太平洋と大西洋を結んでいるということでした。この海峡ははじめ「マゼラン」ではなく、「全ての聖人の海峡」と名付けられていました。500年前、1520年11月1日のことでした。マゼランは、現在は自分の名前になっている、この海峡を渡ってチリの南端にたどり着きました。彼らはConcepción(無原罪)、Trinidad(三位一体)、Victoria(勝利)と名付けられた三艘の船で海を渡ったのでした。わたくしにとっての驚きがもう一つあります。それは2003年に、東アジア地区のサレジオ養成者のための会議でセブに集まり、フィリピンの南の島のひとつに出かけた時のこと、会議の合間の観光の途次、1521年にマクタン島の原住民によって殺されたマゼランの死を思い起こす記念碑に思いがけず出会ったことです。
バチカン公会議による聖性への招き
第二バチカン公会議の第一の文書、教会憲章Lumen Gentium(人々の光)。そこにはイエスが作られた教会を理解するためには、聖性への普遍的な証明のテーマに、扉を開かなければならないということが書かれています。
全ての受洗者は聖性へ招かれています、とてもシンプルな招きです。1つのよい例として、今年の10月10日、アッシジで列福されたカルロ・アクティスを見ることができます。彼は15歳のイタリアの青年で、2006年12月12日に白血病で亡くなったのですが、教皇様はカルロについて次のことを話されました:彼は福音の価値観と美しさを伝えるための、新しいコミュニケーション技術を利用することができたため、多くのカトリック信者は、ITの技術を通して信仰について話し、人を助けた彼をウェブサイトの保護者と呼んでいること;人生を元気と喜びいっぱいに、現代社会のクリスチャンとして生きたこと;思春期の子どもらしい服を着て、手にはスマートフォンを持っていたこと;そして、小教区の積極的なメンバーであり、良い友達、同士であり、奉仕者だったこと;最も必要としている人たちにとって、良いサマリア人のようだったことなど話されたのでした。
「わたしは、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆を見た」(黙示録7・9)
今年に入ってからで、皆さんにはじめて分かち合いたいことがあります。パンデミックの影響によって、感染防止のために私たちの交わりの一つの中心であった教会が閉じられました。代わって、病院が大きな中心となりました。感染した人々への最初の手当てをする、受け入れのセンターになり、病人が健康を探しに行く場所になりました。人を癒すイエスの現存が、医者や看護師の近くに、より感じられるようになりました。キリスト教の司祭や仏教のお坊さんの所よりも、もっと。
カトリック教会が公式に認める聖人と聖女は信者のみです。しかし、黙示録をもっと広い視野で見ると、「数えきれない大勢の人々が、地球の全ての民から来ていることが分かります。数えきれないほどの大群衆は、あらゆるところから集められているのです。」この箇所から考えますと、今日に至って人類が目にする全ての聖人と聖女たちは、カトリック教会の枠を超えたものであると言えましょう。
全ての人の兄弟姉妹になるように招かれている(回勅Fratelli tutti(兄弟姉妹である皆さん))
全ての人類の善のために、教皇フランシスコは、キリスト教ではない宗教にも、兄弟愛の奉仕に努めるよう招いています。そのことがとても私たちの注目を惹きます。この呼びかけによって、教皇は新しい時代を宣言しています。信仰のために働く人々と善意ある人々が、対話を通して協力しあい、全ての人のための善を求めるように、この世を襲う数多くの不正と戦い、全ての暴力を否定するように、このように全ての人が、新しい秩序の、世界的な誕生のために働くように、と。それは、人の尊厳の神聖さと、人権を基本とした新しい世界の秩序を目指すものです。力を合わせて働く。軽蔑、隷属、搾取に否、と言うこと。教皇様のこの3つ目の回勅は、全ての人が「世界の平和の守り手」であることを強調しています。ですから、組織だけではなく、普通の人々もまた、世界の悪に関して傍観者ではいられません。日々、創造性を持って、戦争に対して戦わなければなりません。もし、多くの人が平和のために戦うなら、みんな平和の創り人としてオスカー・ロメロ(Oscar Romero)、マーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King)、マハトマ・ガンディ(Mahatma Gandhi)、などのように働くことができます。
祈り:
・ 教会がいつも幸いな道を通して聖性を探し求めることができますように。主に祈りましょう。
・ 全ての人の幸せのために実践する全ての人々が、宗教を問わず、永遠の命の幸いにあずかることができますように主に祈りましょう。
・ 私たちみんなが、全ての人々が共に神の国で、永遠の命の喜びにあずかることができますように祈りましょう。