カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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2013年新年の司教メッセージ

2012.12.28 (金)
"新しいぶどう酒は、新しい革袋に"(マルコ2:22)

さいたま教区の兄弟姉妹の皆様へ

クリスマスと新年おめでとうございます。

 昨年の10月から私たちは信仰年を迎えています。私たちは洗礼によって『信仰の門』をくぐり、信仰の道を歩んでいます。年始にあたり、使徒言行録、第2バチカン公会議、そして、さいたま教区の歩みについて述べながら、『信仰の門』について皆さんと分かち合いたいと思います。

使徒言行録
 パウロとバルナバは宣教旅行に出かけ、様々な困難や苦難を乗り越え、多くの異邦人たちを信仰に導きました。二人はアンティオキアに戻って、大きな喜びのうちに、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」(使徒14:27)のでした。
 その時、異邦人への宣教に関して、割礼が大きな問題となっていました。割礼はモーセの習慣に従うもので、イスラエルの人々の伝統的なしるしでした。イスラエルの人々は割礼を受けていない者は救われないと考えていました。そのため、割礼は異邦人にとって信仰の門に入るために大きな障害になっていたのです。
 そこで、使徒たちと長老たちが集まりエルサレムで使徒会議(はじめての公会議)を開きます。この公会議で、異邦人に割礼という重荷を負わせないことを決議したのです。これによって、福音を信じる人が誰でも洗礼を受け、共同体の一員になることが可能になったのです。パウロとバルナバが旅に出て、多くの人々と出会ったことがきっかけになって、信仰の門が世界のすべての人々に開かれることになったのです。

第2バチカン公会議 
 信仰の門が大きく開かれた公会議は、このエルサレム公会議とその1900年後に開かれた第2バチカン公会議です。第2バチカン公会議は、教会の刷新を図り、分かたれた兄弟姉妹と和解し、すべての人々、特に、苦しむ人々と連帯し、彼らに奉仕する教会を目指すものでした。この第2バチカン公会議で、信仰の門が改めて広く開かれることになったのです。エルサレム公会議では割礼という障害を取り除くことで信仰の門を開きましたが、第2バチカン公会議は教会自身が刷新されることによって信仰の門を開こうとしたところに特色があります。教会が刷新されることよって、教会が、神の救いの業に、よりふさわしく参与できるように神が招いてくださっているのです。
 イエスは「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ」(マルコ2:22)と教えてくださいました。この言葉は第2バチカン公会議の特色をよく表しているでしょう。
教会とは、もちろん、神の民のことです。皆さん一人一人が、そして共同体が、神の言葉によって刷新され、人々との出会いの中で、神の言葉を伝えていきます。そのことによって、信仰の門が多くの人々に開かれるのです。

さいたま教区の歩み
 皆さんは東日本大震災と福島第1原発事故の被災者支援に積極的に取り組んでくださっています。被災者支援を通して、多くの被災者やボランティアと出会い、共にいることの大切さ、共に生きる喜びを体験することができました。この出会いの体験によって、私たち自身が刷新され、信仰の新たな光を見出すことができたのです。また、その他の様々なところでも、私たちは多くの人々、特に、小さくされている人々と出会ってきました。その出会いによって、私たち自身が刷新され、信仰を見つめなおすことになったのです。このように、私たちの信仰は、社会の出来事に関わることによって刷新されるのです。
 私たちは、身近なところでも、多くの人々と出会うチャンスがあります。沖縄の米軍基地問題など、普段の私たちの生活からは遠く感じる問題もあります。私たちが無関心でいることにより、苦しんでいる人たちもいます。その人たちとの出会いがまた、信仰の門を開くきっかけになるでしょう。
 私たちも宣教の旅に出て、大きな喜びのうちに、「神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した」パウロとバルナバのようになりたいと願っています。
この1年、皆様に多くの人々との出会いの恵みがあるように祝福を送ります。

†全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆様の上にありますように。

2013年1月1日
さいたま教区司教
マルセリーノ 谷 大二