カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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待降節第2主日 マルコ 1・1-8

2020.12.6 (日)
来てください! 来てください主よ、遅れずに、主よ、すぐ来てください!


 もう12月です。今日は待降節の第二の日曜日、伝統に基づいて、もうすぐクリスマスのノヴェナが始まります。

 新型コロナウイルスとの共存が続いているにもかかわらず、日本の街はイルミネーションが輝き、サンタクロースの赤い色が目立ちます。特に夜になると、教会の入り口に置かれているクリスマスの馬小屋が光っています。それらを目にすると、今年もクリスマスはもうすぐ、と感じます。取り分け、アメリカ、インド、ブラジルやラテンアメリカの国々、ヨーロッパやアジア大陸で、コロナウイルスの感染が拡大している中でのこのお祝いには、何か新しいものがあるような気がします。その一方で、「こういう時に神はどこにいるのか。なぜ、このパンデミックを止めないのか。」という質問をしている人は少なくないのでしょう。しかし、わたくしは、このパンデミックの中にあっても、生きた神の現存を信じています。今年も、幼子になった神が救い主として生まれ、多くの人が教会に来て礼拝するでしょう。

幼子になった神の誕生をどう準備するか
 クリスマスは、キリスト教で最も人が集まるお祝いです。典礼的には復活祭の方がもっと大切なのですが。キリスト者でない人たちも24日の夜の出来事に惹きつけられて、教会へ行って、私たちと共にいる神の誕生を祝います。世界では何億もの人たちが、イエスが、イスラエルのベツレヘムという貧しい村の、動物のための厩(うまや)でお生まれになり、この世に来られたことを記念します。
サレジオの調布神学院の院長であった時の、あるクリスマスの出来事がとてもわたくしの印象に残っています。2007年のわたくしの誕生日の前日でした。わたくしは2階のオフィスのガラスを掃除していました。下の庭の3メートルくらいの杉の木の周りに、大きな緑の芝生があり、そこにベトナム人の神学生たちが2メートル程の厩(うまや)を設置していました。
わたくしが窓を掃除していると、ユースセンターの野球部の子ども達が来ました。地域の小学校の5年生で、信者の子は一人もいません。でも、神学院のミサに参加し、ルルドのマリア様の前でアヴェ・マリアを唱えていました。
彼らは心配して叫んでいました。上を見上げて必死に、そして絶望的に、「院長様、幼子イエスが盗まれた、探しに行かなければ」。わたくしが降りて行ってルルドの洞(ほこら)の中を見ると、彼らが言っているように、幼子はいません。彼らは泥棒が奪ったのだと思い、「誰が幼子を盗んだのか」と言っていました。わたくしが彼らを呼んで、藁があるところをよく見るようにと言うと、みんな跪きました。「幼子イエスは24日の夜に生まれ、羊飼たちが来て拝むのです」。子ども達は言いました。「院長様、解りました。幼子はまだ、ここにはいない。誰も盗んだわけではないのですね。これから生まれるから、まだここにはいないのですね」。
 つぎの日曜日、ユースセンターの子ども達と早めのクリスマス会をしました。そして、その中でわたくしはサンタクロースに変装して会場に入りました。トナカイでもラクダでもなく、自転車に乗って登場すると、驚きの沈黙がありました。私の「クリスマスおめでとう」の挨拶で、バスケットボールのコートは喜びでいっぱいになり、キャロルを歌いながら、子どものグループごとにプレゼントを配り始めました。
プレゼントをもらっている子どもの中には、幼子が盗まれたと言っていた子ども達もいました。彼らの一人が、サンタクロースはわたくしが変装したのだと疑って近づいて来て、確信をもって言いました。「院長様ですね。声が似ています。」と。わたくしは本物のサンタクロースのフリをして、綿の髭を触りながら年寄り声で、「わたくしはサンタクロースです。あなたの友だちです」と言いました。彼は驚いて、叫びました。「私はサンタさんが大好きです。でも、赤ちゃんのイエス様を持って来るのを忘れないでください。イエス様がいなくてはクリスマスが来ないのですから」。それからというもの、この子は会う時にはいつも、わたくしを院長様と呼んでくれました。わたくしは思ったのです。もし、この子がアルゼンチン人だったら、わたくしにウインクして、「でも、サンタさんでもありますね。」と言ったかもしれないと。

クリスマス:暗闇にうち勝つ新しい太陽、イエス(歴史)
きっと、皆さんにもクリスマスの思い出があるでしょう。わたくしにも、たくさんの思い出があります。家族、友だち、特に教会の子ども達とのクリスマスは、先ほど分かち合った出来事のように、とても素敵でした。
教会で、クリスマスのお祝いがどのように生まれたのか見ていきましょう。教会では、クリスマスのお祝いがすぐに始まった訳ではないのです。その始まりは4世紀頃でした。12月25日が幼子イエスの誕生日として選ばれたのには歴史上の理由があります。ローマではその日を「勝利の太陽の日」として祝っていました。冬至のお祝いで、東洋からきたものでした。この異邦人の祝いを教会はキリスト教化しました。それは暗闇に打ち勝つ太陽の、異教の神話への対応策ではなく、むしろ、アリウスという人が、異端的な考えをキリスト者の間に広めていったことに対する取り組みだったのです。アリウスは、イエスは生まれた時は普通の人間だった、その後、神が自分の霊の力によってイエスをもう一人の神にした、と主張しました。すなわち、イエスは生まれた時から神だったのではない、という考えです。彼の説明にはなぜか力があって、4世紀のはじめには50万人ものキリスト者がアリウスの宗派のメンバーになったのです。
ですから緊急に、アリウスの教えが広まらないように公会議が招集されました。アジアの小さな二ケアという町に300人の司教が集まりました。この二ケアは、ローマ帝国の首都であるコンスタンチノーブルのすぐ近くに位置する町です。325年のことでした。そこで司教たちは、アリウスの教えが間違っていると認め、イエスは生まれた時から神であったと宣言しました。このようにして、ニケア・コンスタンチノーブル信条が生まれたのです。「・・・。唯一の主イエス・キリストを。主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、・・・造られることなく生まれ、父と一体。・・・」。
最終的にアリウス派は裁判によって異端と宣言されました。しかし、アリウスとその支持者はいなくなった訳ではなく、その教えを広め続けました。ニケア公会議の30年後、多くの司教と司祭も含めて、大勢の人がアリウス派になっていたのです。この状況を前にした教皇ユリウス1世は、アリウスの教えに対抗するために、イエスの誕生を、今私たちが祝っているように祝うことを提案しました。なぜなら、神の幼子の誕生を祝えば、人々はイエスが大人になって神になったのではなく、神として生まれたと考えるようになるからです。そのために、勝利の太陽の日、ローマの一般の祝日を利用し、イエスの誕生の日と定めました。それは時と共にキリスト教世界で最も人気のあるお祝いになりました。
このクリスマスが典礼のカレンダーに記されたのは、354年のことです。「12月25日、ユダヤのベツレヘムでキリストは生まれた」。クリスマスのお祝いのおかげで人々はベツレヘムで生まれたイエスは普通の子どもではなく、神の幼子である、すなわち、ヨルダン川での洗礼をもって公生活を始めた時や、復活した時からではなく、イエスは生まれた時から神であるという意識を持つようになりました。そのうえ、ヨハネ福音書の冒頭では、イエスはこの世の創造の前から神である、そして、常に神である、と述べられています。クリスマスは、私たちの間に生まれた神の幼子の誕生のお祝いです。
 幼子イエスの誕生のお祝いを、私たちの家庭でも準備しましょう。クリスマスツリーを飾り、ライトを灯し、そして共にいる神が生まれる場所を用意することを忘れないように、それぞれの家庭で小さな厩(うまや)を、マリアとヨセフの間に幼子イエスを置きましょう。さらに、ロバ、牛、羊、羊飼、毎年ベツレヘムの家族を賑やかにするために、登場人物を加えていくこともできます。

待降節の歌で主の訪れをよび求めながら終わりましょう。
来てください主よ、マラナタ

来てください主よ、遅れないで、
来てください、待っています;
来てください主よ、遅れないで、
来てください、すぐに主よ。

世界は寒さで死んでいます、
魂は温かみを失いました、
人は兄弟ではありません
なぜなら、愛を殺したから。