司教メッセージMESSAGES
待降節第4主日 ルカ 1・26-38
2020.12.20 (日)
今日は、降誕祭の前の最後の日曜日です。今年は、新型コロナウイルスのパンデミックの中で、幼子イエス、インマヌエルのお祝いをすることになりました。感染拡大のために、小教区によっては、夜半のミサをすることを断念したところもあります。日本政府も、この年末年始に、家族に会うために移動することさえ避けるように要請しています。このウイルスを運ばないために、私たちは責任をもって生きる他ありません。ミサにあずかれない場合は、出来るだけオン・ラインのミサを通してでも降誕祭を祝うようにしましょう。いくつかの言語で発信されますから。この状況を前にして、今日の黙想は、マタイによる福音書に描かれた降誕祭の物語から始めます。ルカによる福音は、また別の機会にいたします。
最初の降誕祭:イエスの誕生、私たちと共にいる神に(インマヌエル)
イエスの誕生の物語は、地球上で一番多く行われているお祝いの元です。クリスマスは世界で2億人の人々によってお祝いされています。イスラム教のお祝いの倍の数です。その上、文化的にだけでなく、商業的な重要さも加わって、西洋だけではなく、また、クリスチャンでない多くの人々もクリスマスを祝います。このように幅広く行われている宗教的なお祝いは、クリスマス以外には、ありません。
キリスト教では、クリスマスは一年で二番目に重要な聖なるお祝いになっています。しかし、事実上、多くのクリスチャンにとって、一番重要な復活祭を超えているのです。まず、クリスマスは憧れの心を産む力をもっています。闇に光、希望の実現、違う世界を求める、人間の深い望みに触れているからでしょう。多くのキリスト者にとって、イエス誕生の物語は自分の幼年期と関係しているのでしょう。
しかし、イエスの誕生の物語は単なるセンチメンタルなものではなく、それは一人の人のものであるとともに、政治的でもあるのです。人と政治の関係の変化について語っているのです。1世紀に位置づけられているにもかかわらず、今の人類にも問いかけるものがあります。クリスマスは伝統的なお祝いでありながら、現代の人の心にいつも生きているのです。なぜなら、神はインマヌエルであり、いつも私たちと共におられるからです。各世代の人々と歴史を創っているのです。クリスマスは、私たちの生活にとても身近で、最も魅力的な、神の人類への愛の神秘そのものです。
クリスマスの2つの物語:マタイとルカ
まず、クリスマスには2つの物語があります。マタイとルカ。マタイでは、始めにある2つの章がイエスの誕生について語っています。二つの福音書を注意深く読んで、すぐ気づくことは、それぞれが違うこと。しかし、私たちは、それらをまとめて、一つの物語として理解しています。マリアの胎内に宿った時から、イエスが12歳の時、エルサレムの神殿での両親との再会のときまで。しかし、今回はあまり時間がないので、マタイ福音書がクリスマスについて語っている場面に限って見ていきましょう。
マタイによる表現
マタイはルカにくらべて短く語っています。イエスの系図が第1章の3分の2を占めています。この系図なしでは、誕生の物語はたった31節です。ルカ福音書の場合は132節を占めています。すなわちマタイの4倍の長さになります。
マタイは6つの場面でイエスの誕生を紹介しています:
1) イエスの受胎とヨセフのジレンマ(1・18−25)
2) 博士たちとヘロデ(2・1−8)
3) 博士たちの礼拝(2・9−12)
4) ヘロデの企みから逃れるため、エジプトへ(2・13−15)
5) ヘロデによる幼子たちの殺害(2・16−18)
6) エジプトから戻り、ナザレに引越し(2・19−23)
最後の場面では、ヨセフは家族をベツレヘムへ戻そうとしました。それは、そこが故郷であるから、とマタイ福音書にはあります。しかし、新しい王ヘロデの息子アルケラオは悪い評判があったので、家族はベツレヘムへ戻らず、ガリラヤのナザレに行きました。
マタイ福音書では、ここから、時間は30年後へと飛び、第3章となり、荒れ野で宣教している洗礼者ヨハネが現れ、イエスはヨハネから洗礼を受けるため、ヨルダン川を訪れます。ですから、ナザレで生活したこと以外、イエスの青年時代には何も触れていません。
マタイに描かれた物語には、私たちが慣れ親しんでいる、たくさんの要素が含まれていません。ベツレヘムへの旅も、その誕生も、夜空に歌っている天使たちのこと、羊飼いが来て礼拝したことなども語られていません。これらのことはルカ福音書にはあります。マタイの語りの力点は、ヨセフとその煩悶、そして、ヘロデがイエスを排除しようとする企みとその失敗に置かれています。
このパンデミックの中でどのようにクリスマスを生きるか
恐らく、今年は、このパンデミックによって、多くの方がクリスマスのミサに参加できないのではないでしょうか。もしかしたら、夜半のミサに与れないかもしれません。しかし、それでクリスマスが忘れられるわけはありません。今年は多くの人たちが例年通りにはクリスマスを祝えないでしょうが、却って、より静かに、心を込めて、クリスマスを祝うことができるかもしれません。ご聖体を頂きたい気持ちがいつもよりもっと強く、クリスマスの場面をもっと熱心に思い起こすでしょう。気持ちはベツレヘムに向かうことでしょう。まぶねに眠る幼子イエスに近づき、そっと撫でて、そして礼拝するために。そして、今年は、特に博士たちのように、ベツレヘムの星を見ることになるでしょうか。
ベツレヘムの星を見ながら:木星と土星の接近
パンデミック以外にも、2020年を特別な年にしてくれるものがあります。この年が閉じようとする今、天文科学の愛好者へのクリスマスプレゼントがあるのです。それは、木星と土星の大接近のことです。木星と土星の接近は20年ごとに起きる見慣れた天文現象なのですが、今回の場合は特別なのです。太陽系の一番大きな2つの惑星がまるでひとつになったように見られ程大接近するのです。最後に起こったのは1623年、次に見られるのは80年後の2080年です。
この接近が「クリスマスの星」と名付けられたのです。私たちも、この現象をクリスマスのプレゼントとして楽しみましょう。なぜなら、人生でこんなチャンスは二度とないでしょう。「ベツレヘムの星」を見ることをなさってみてください。最後に、クリスマスの食べ物をいただくだけでなく、音楽を通しても、特に「しずけき」によって、クリスマスを祝う雰囲気でいっぱいにしましょう。
しずけき(もとの音楽はフランスのグルバール)
静けき 真夜中 貧し うまや
神のひとり子は み母の胸に
眠りたもう やすらかに