カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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四旬節第5主日

2020.12.29 (日)
パンデミック(世界的流行感染症)新型コロナウイルスに伴われた四旬節の道行きの黙想

司教の四旬節の呼びかけへの速やかな連帯の応答に感謝します。

カトリック教会では、2月26日、灰の水曜日に、2020年の主のご復活を祝う準備の時が始まります。しかし、さいたま教区では、日本のほとんどの教区と同様に、新型コロナウイルスの蔓延に直面していることから、教区顧問会に諮った結果、2月22日にお送りしました第1回目の指針では、灰の水曜日の翌日から3月14日(土)まで、主日のミサをはじめ、公開のミサは行わないこととし、皆様にお知らせしました。
わたしたちは、この新しいウイルスの危険性に次第に気づきつつありますが、ウイルスは中国大陸から始まり、世界中に日々広がり続け、今や、アフリカまで広がっています。このウイルスに感染した国は114か国、死者は4,000人以上(3月10日)となり、WHO(世界保健機関)はこの状態をパンデミックと宣言しました。 3月11日(水)のことでした。

四旬節の精神と教区の一致を生きようとの新しい呼び声
わたしたちが四旬節の旅を始めて以来、すでに5週間を過ぎようとしています。この間に、6つの手紙をお送りし、5番目のものは特に司祭の皆様に対してのものでした。3月27日付でお送りした6番目の手紙では、25日に行われた顧問会での話し合いに基づき、特に聖週間の祭儀について、教皇庁からの勧めに従い、また、状況が似ている東京教会管区内、特に、関東地区の他教区の決定などを参考にして、さいたま教区としての方針をお知らせいたしました。

“コロナウイルス:わたしたちの目には見えない敵との闘い”
感染症における多くの権威ある方々による記事の中で、その一人、アイリーン・マーティ博士がコロナウイルスについて書かれているものの中にわたしたちを大変照らしてくれるものを見つけましたので、少し引用したいと思います。“当局が思い切った対策を講じず、住民がその深刻さを認識しない場合には、世界中で前例のない災禍が続くでしょう。さらに、このウイルスは、年齢を問わず、誰の体内にも侵入します。ここで問題となるのは、その人が症状を発現するかどうか、どのようなレベルでか、ということです。これまでの研究では、感染したとしても、18歳以下の人の場合なら、わずか3%が重度または重篤な症状を発症することが示されています。つまり、残りは感染していないのではなく、症状が軽いために、入院する必要がないということなのです。これらの無症候性の人々について深刻なことは、感染していることを知らないことで、ウイルスを撒き散らし続け、感染したら生命の危険にさらされる人に感染させることです。だからこそ、子どもたちや若者たちが身をさらさないことが非常に重要なのです。”

四旬節の日曜日、神のことばに照らされながら、今の状況を読む
現在、世界の人口は約77億人超です。わたしたちは、わたしたちの健康に極めて危険な、目に見えない敵、新型コロナウイルスに初めて遭遇しています。それゆえ、世界中の約12億5400万人のカトリック教徒のわたしたちもまた、聖週間とイースターを特別な形で祝わなければならないのです。ソーシャル・メディアを使用して祝う方もいるでしょうし、単独で、静けさの中で祝う方もあるでしょう。
ウイルスを単に「黙示録的な敵」と見なすよりは、むしろ、黙想をしようではありませんか。神、歴史をつかさどられる主が、わたしたちすべてを驚かせているこの悲劇的な世界の状況を通して、わたしたちに何を語ろうと望まれているのか、黙想しようではありませんか。
この目的のために、わたくしは皆さまに、今日、四旬節第5主日の典礼で読まれる第1朗読を注意深く読んで、個人的に、あるいは、家族で黙想なさることをお勧めします。このパンデミックに直面して、神は人類と神の教会に何を告げようとしておられるのだろうか、と。
1)エゼキエル37・12-14:異国の地で死ぬ人々の痛みを前にして、預言者エゼキエルは次のように彼らを慰めます。「(主なる神は)こう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わたしはお前たちを墓から引き上げ、愛するイスラエルの地へ連れて行く。そして、民は主なる神が生き残った者たちにその霊を豊かに注いでくださるとき、彼らの神が主であることを知るようになるだろう“。
2)ヨハネ11・1-45:福音史家ヨハネはラザロの「復活」について語り、第4の福音書の骨組みをなしている七つの“しるし”や“出来ごと”の最後について語ります。ヨハネによれば、イエスは死に向かう前に、イエスはご自身を生命の主であることを表され、イエスは復活であり、生命であること、彼を信じる者は死んでも再び生きること、彼を信じる者は永遠に死なないと人々の前に宣言されます。ヨハネはこの事実を、イエスに敵対するものの忍耐を切らしてしまう一滴を注ぐ人として表現します。敵対する者たちはこの奇跡によってイエスを殺そうと決心します。この出来事の後、わたしたちはイエスのエルサレム入場を祝いながら(枝の主日)、聖週間を始めます。