司教メッセージMESSAGES
復活節第4主日 ヨハネ10・1-10
2020.12.8 (金)
今日は2020年5月3日の日曜日、復活節第4主日のミサを今、司教館で、浦和教会の御前ザビエル神父様と一緒に捧げています。もちろん、皆さんと離れてはいても、こころでは繋がって一緒にこのミサを祝っています。今日は、よい牧者の日曜日であり、世界召命祈願の日でもありますので、今日第一朗読のあとに歌われた答唱詩編の一節を皆さんとご一緒のつもりで歌いながら始めたいと思います。
♪主はわれらの牧者、私はとぼしいことがない♪
一緒に唱えましょう。
神はわたしを緑のまきばに伏させ、
いこいの水辺に伴われる。
神はわたしを生き返らせ、
いつくしみによって正しい道にみちびかれる。
♪主はわれらの牧者、私はとぼしいことがない♪
それでは皆さん、今日はヨハネの福音書の「良い羊飼いの箇所」を少し一緒に黙想したいと思います。
まず最初に、皆さん、一回でも、羊を牧する羊飼いを見たことがありますか? 今日、ヨハネの福音書を見ますと、羊飼いは羊の前に立って、羊たちを案内している、導いているという表現があるんですけど、その姿をもしかしたら皆さん見たことがないかもしれません。わたくしも教会の中で、この良い羊飼いの話をすると、子ども達が不思議そうな顔をして、羊はテレビとか、写真とか、絵で見たことしかなくて、本当にこの羊飼いという話はかなり遠うような、違った世界のような話です。イエス様の世界では、羊の匂いを持った、そういう社会だったそうで、羊飼いだけが羊の匂いを持っているのではなくて、羊はよく家の中まで入ったり、家の庭にいたりして、これは普通だったんです。だから、今の教皇様が牧者たちは羊の匂いを持たないといけないと言うのは、そういうことだと思います。
そして、二番目には、このヨハネ10章の羊飼いの話ですけれど、マタイ18章の12−14節、またルカの15章3−7節のところにも、迷い出た羊とか、見失った羊の話があって、このヨハネの10章と合わせて黙想するといいのではないかと思います。
強調されてるのは、良い牧者というものは羊飼いを自分の子どものように大切にする、彼らのために命を捧げる、本当の羊飼いは、自分の羊のため、自分の羊の群れのために命を捧げる。雇い人とかと違って、例えば泥棒とか、オオカミとか、熊とかが来ても逃げないで羊を守る。または羊飼いは羊の声を知っていて、羊は彼の声を知っていて、羊飼いに従っていくとされています。シンボル的に、この良い羊飼いはイエス様であります。また、司教、司祭たち、助祭たちがこのような姿勢を持って、教会の中で、社会の中で、働き、証ししないといけません。でも、今日の福音書では、この良き羊飼いの二箇所の所で、強調されている言葉があります。それはイエス様が私は羊の門であると言っています。羊はその門を通って、出入りする。ですから、私たちの救いの道はイエス様の門を通る。イエス様を通らなければいけないということが、今日のヨハネ福音書の強いメッセージでないかと思います。
このヨハネ福音書の「良い羊飼いの箇所」は、旧約聖書のエゼキエルの31章のところにも表れています。そこでエゼキエルが預言的に、ユダヤ人のリーダーたちが国を牧している人たちについて、厳しい言葉を言っています。彼らは神の民の羊のためでなくて、自分たちの利益のために働いている。このような羊飼いは役に立たない。その代わり、神は本当の牧者を送る。ダビデの子孫から生まれる者が、本当の牧者であると。そして、この良き牧者のイメージは、初代教会から受け入れられていて、例えば羊飼いが肩に羊を担いでいる、あの有名なモザイクとか、絵があります。フレスコがあります。特にローマのカタコンベに、それが残っています。
今日、もちろん司祭たちにも関係しますが、聖アウグスティヌスが書いた説教があります。羊飼いたちに向けて。それはですね、今年でしたら、9月13日から18日まで、13回、13個の説教があります。これは霊的読書の第二朗読のところです。年間の第24主日から第25の金曜日までですね。例えば、こんなタイトルがあります。わたくしは司教であるけれど、まず最初にキリスト信者である。そこで、パウロを牧者の模範としたりして、そこからアウグスティヌスは強い言葉、反省をするような呼びかけを牧者たちに、司祭たちに向けてしています。特に今日のように、あなたたちは雇い人でなくて、本当にこの使命を神様から受けて、命までかけて、模範になったりして、試練もあるだろうし、そんな時があっても、弱い羊とか、傷ついた羊たちを癒してください、などと書いてあります。神父様方も、もしできましたら、そのアウグスティヌスの書かれた説教も読んでみてください。
繰り返しますが、司教はじめ、さいたま教区の司祭たち、終身助祭のためにも、忘れずに祈ってください。最後、一緒にまた良き牧者の詩編を歌いながら終わりたいと思います。
♪主はわれらの牧者、私はとぼしいことがない♪
たとえ死の陰の谷を歩んでも、
わたしはわざわいを恐れない。
あなたがわたしとともにおられ、
そのむちとつえはわたしをまもる。
♪主はわれらの牧者、私はとぼしいことがない♪