カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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復活節第6主日 ヨハネ 14・15-21

2020.12.17 (日)
“聖霊を受けるようにとその人々のために祈った”(使徒言行録8.15)

今日は復活節第6主日を迎えています。主の昇天の前の日曜日であり、またその後には聖霊降臨のお祝いがあります。聖霊降臨をもって復活節が終わります。

教区と連絡をとるための小さな窓
 今年の四旬節の第3主日から、わたくしの日曜日の説教は、司教の言葉として、教区のホームページの「司教メッセージ」のところに、そして、新型コロナウイルスの感染症への対応についての指針を、「各種書類」のところに掲載するようになりました。

 それらを改めて読んで気付いたことは、皆様にとってそれらが教区とのコミュニケーションの窓のようなものであったのではということです。この作業に関わってくださった本部事務局と様々な方がわたくしを励まし、そして録画、テープ起こし、まとめ、訂正、翻訳をしてくださったことに感謝します。
わたくしのメッセージが多くの方々に届くようにと、コピーをしたり、小教区のホームページに転載してくださったり、教会の掲示板に貼ってくださったことなど、司祭の皆様に感謝します。例えば浦和教会では、訪れる信者たちが日曜日のミサの「聖書と典礼」と一緒に司教のメッセージを持っていって、御心のイエス様の前で祈っているところを見ました。

この日曜日のみ言葉
 まず、それぞれの朗読箇所の主なポイントを確認しましょう。
第一朗読は使徒言行録8・5−8, 14−17です。私たちの注意を促す出来事を伝えています。サマリア人はユダヤ人に軽蔑されていました。それは彼らが異端者であり、純粋な民族ではないから。しかし、多くの癒しを行なっていたイエスこそが、待ち望んでいた真のメシアであることをフィリポは宣言し、サマリア人はそのフィリポの教えを聞いて喜んで受け入れました。

 その後ペテロとヨハネの按手によって彼らは聖霊を受けます。ペテロとヨハネはフィリポによる福音宣教で回心した人々を確認するために、エルサレムの共同体から派遣されました。『ヨハネ4.
1−45』に記されているイエスとサマリアの女性の出会いの場面から、ユダヤ人とサマリア人が対立していたことが分かります。その裏には長い歴史があります。シリア人によって、北のイスラエルの国が破壊され、サマリア人の一部は捕虜になりました。そして戻った時、ガリシン山で自分たちの中心となる祈りの場を取り戻しました。紀元前4世紀に神殿を再建したのです。しかし、紀元前128年に、ユダヤ人の君主であるシモン・マカバイの息子、ヨハネ・ヒルカノによって神殿は破壊されてしまいました。

 第二朗読のペテロの手紙(一ペテロ3・15−18)を読んでわたくしが強調したいのは、不正、パンデミック、自然災害などの困難な状況の中であっても生きるための希望について弁明すること、そのような状況でも人が潰れてしまわないように何に希望を置けば良いのかを明らかにできるよういつでも備えていなければならないことです。希望・・・自分の人生を振り返りながら意味があった時を思い起こし、生きる理由のリストを作ってみましょう。このような作業で自分の人生を読み解いていていくと、神様は何らかの形で人生に関わり、罪を犯した時や危機の時にも、わたくしを見捨てなかった、神様がいつもそばにいたことが分かります。

 ヨハネ福音書(ヨハネ14・15-21)には、イエスが別れる時に弟子たちに残した遺言が書かれています。「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。父は別の弁護者を遣わしてくださる。」イエスが弟子たちに言おうとしていることは、この弁護者を必要とすることです。人類の歴史を通して、イエスを信じ、イエスの名を伝えることによって、多くの困難、反対、迫害にさえ直面するであろう。だからこそ、弁護者が必要だということです。

司祭と、お互いの交わりの中で
 今年はもう長期間共同体としてミサを捧げることができていませんが、多くの小教区では祈りによって霊的につながれるように、方法を探しました。特にロザリオの祈りをもって。あるところではZoomやラインを通して祈るようになっています。その参加者は増えています。そして祈りの後、次の日曜日のみ言葉を分かち合う時間も設けています。

 この新型コロナウイルスの時にわたくしが喜びをもって確認していることは、多くの司祭たちが、日曜ごとに、み言葉のコメントをホームページに載せ、短い挨拶を送りながら信徒の信仰、歩みに同伴していることです。

 いくつかの場所では、信者の皆さんが司祭たちに挨拶とメッセージを準備するように頼み、インターネットにのせたり、教会の入り口にコピーを置いたりしています。これらの事柄(しるし)は、私たちが祈りの生活において眠った訳ではないということを表しています。コロナウイルスのせいで、信仰が生ぬるくなったり、私たちが教会帰属意識を失ったり、祈りに無関心になるようなことはありませんでした。

 この長い復活節の間、復活されたイエスは私たちと共にいてくださっています。私たちに、コロナウイルスの感染拡大によって苦しんでいる人たちを助ける必要性を感じさせています。私たち皆が1日を通して祈りで一致し、特別に彼らのことを思い起こす日曜日であるように。皆さんにお願いします。「試練の時」を読んでください。そして自分の身近なところで困っている人がいれば、私たちも教会として彼らに手を差し伸べることができますように。マタイ福音書の、最後の審判の主の呼びかけに応えながら(マタイ25・31―46)。

公のミサの再開を待つ聖霊降臨
 政府は、他の多くの県と共に、群馬、栃木、茨城の3県では緊急事態宣言を解除しました。しかし、埼玉はその中には含まれませんでした。従いまして、私たちさいたま教区としては、私たちの小教区の公のミサの再開は段階的にしなければなりません。集まって話し合うことすらできない中ですが、司祭の皆さんは各自で工夫をなさって、それぞれの共同体の皆さんの願いを汲み取り、徐々にしか行えないであろうミサの再開の仕方ついて、言い換えれば、どのようにしたら共同体のミサが安心のうちに捧げられるのか、今から考えておいていただきたいと思っています。

 外国籍の方々の中には、インターネットを通して他の国での新型コロナウイルス終息後のミサの再開の仕方をみて、自分の小教区にどのように適用できるかを検討している方たちもいます。これらのイニシアティブは、私たちの状況を切り開く助けになるのではないかと思います。近いうちに(できれば今週末に)、私たちのさいたま教区では、ミサの公開に向けてどう歩みを進めていったらよいかの指針を示したいと考えています。聖堂での主日のミサの突然の再開は極度の3密状態となるに違いありません。ですから、公開ミサの再開は、少しずつ、決して逆戻りしないように、慎重に進めなければなりません。皆様のご理解とご協力を心からお願いします。

 主イエスが、皆様を喜びで満たしてくださいますように。一日も早く、私たちの教会が典礼儀式のために公に開かれますように、そして、小教区の生活が徐々に日常に戻っていきますように。イエスの母が新型コロナウイルスの感染から守ってくださることを信じながら、ロザリオの祈りを心を合わせて続けましょう。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。