カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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主の昇天 マタイ 28・16-20

2020.12.24 (日)
「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、
またおいでになる」(使徒言行録1.11)

 
 新型コロナウイルスの収束が見え隠れする中、今日は主の昇天をお祝いしています。このウイルスへの対策は、これからが本番です。私たち一人ひとりが教皇フランシスコと一致して祈りを続け、そして感染拡大を避けながら、できる範囲で助け合いましょう。特にこの時に苦しんでいる人々を。

 今日の第一朗読は「ルカによる福音書」の著者が書いた「使徒言行録」です。主の昇天は、マタイ福音書にもまた、弟子たちに向けられた最後の言葉を伝えるイエスが描かれています(マタイ28.16-20) 。今日の説教では、使徒たちの宣教の最初の11節を中心に考えます。ここには短いプロローグがあり、聖霊の約束とイエスの昇天で構成されています。

ルカによる二つの書物はテオフィロに向けられています。(使徒言行録1・1-2)
 まず、テオフィロという名前が私たちの目をひきます。テオフィロのためにルカは2つの書物、福音書と使徒言行録とを記しました。第一、第二と、2つのステップを持った一冊の本のようになっています。第一には、イエスの生涯と福音宣教が、弟子たちの形成した共同体の中で、聖霊の働きによって継続していること、そして第二には、イエスの運動がどのようにギリシャとローマの世界に広がって行ったか、という内容です。

 使徒たちの宣教の中に大勢の人が現れます。まず、イエスの母、その後に初代の教会の中心人物になるペトロ、そして最後に偉大な宣教師であり、救い主であるイエスをすべての人に知らせるために、地中海の世界を旅するパウロ。

 私たちは、イエスの他の全ての弟子たちも遠い国々まで行き、福音宣教をしたことを知っています。これらのことは使徒言行録には記されていませんが、教会の伝説の中に伝わっています。
 テオフィロという名前に戻りましょう。ギリシャ語では「神の友」という意味です。すなわち、私たち全てがテオフィロであるのです。そしてルカは私たち全てのためにこの二冊を書きました。私たちが思い起こさなければならない大切なことは、ルカが使徒言行録の中で記している初代教会の歴史は、福音書の中に書かれているイエスの福音宣教に基づくということです。

 ルカが記しているように、この2千年間を通じて、数えきれないキリスト教共同体が生まれ、そして、生き残るためにたくさんの困難に直面しました。ですから、毎年復活節に使徒言行録を読み返す時、私たちはキリスト者としてどうあるべきか、そして復活されたイエスの証し人になるために原点に戻り、記憶を新たにします。

聖霊の約束(使徒言行録1・3-5)
 ルカは、生まれようとしている教会の歴史を語る前に、弟子たちに準備としての二つの段階を紹介しています。
*復活されたイエスが共同体で働く40日間。
*聖霊の訪れの前、弟子たちが祈りに励んでいる日々。
ルカはこの二つの段階の間にイエスの昇天を記しています。
 最初の段階の時は40日間になっています。大切なことは、40というシンボルを強調すること。モーセは40日間山にいた(出エジプト24・18)、エリヤが神の山を旅した40日間(列王記上19・8)、そして、荒れ野で誘惑されるイエスの40日間(ルカ4・2)。この40という数字は試練の時、疑いの時、判断の時を示すものと言えます。弟子たちも同じ状況を通過したのです。復活されたイエスが共にいてくださったにも拘わらず、彼らは戸惑い、ある人たちはお互いを疑いました(マタイ28・17)。
ルカが強調していること、人生を共にしたイエスが、今、復活して、ここにいる。イエスは使徒たちに頼み、そして約束を残します、エルサレムから離れないことを、そして、近いうちに聖霊による洗礼を受けられる約束を。

イエスの昇天(使徒言行録1・6-11、ルカ24・50-52)
 新約聖書において、天に昇られるイエスの姿を称賛をもって描いた唯一の作者であるルカ。これはどういう意味でしょうか?

40日間弟子たちと共にいたことにより、イエスが生きていることを確信しました。このイエスが彼らを知り、忘れ難い日々を分かち合ったということ。ルカは昇天の物語を通して、イエスは確かに私たちの間に来られる、しかし、違う形でと言っています。天に昇られている時にイエスの姿を覆った雲は、イエスの不在を表しているのではなく、違う形の現存を表しています。

 ここからは、イエスはご自分の霊を通してわたくしたちと共にいます。地上でイエスが語り、行なったことを私たちが忘れないように、ここで指摘されていることが、私たちの生き方にインスピレーションを与えるようにと。

 この場面の終わりに、ルカは、茫然と天を見上げている弟子たちの姿を示しています。そして白い衣を着た二人が彼らに言います。なぜ天を見上げて立っているのかと。弟子たちはエルサレムに戻ると、そこには厳しい勤めが待っています。拒否され、軽蔑される、そして無関心。そのような多くの人たちの中で、彼らはイエスの福音を宣べ伝え始めなければならなかったのです。

あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(マタイ28・19-20)
 このイエスの最後の呼びかけに応えるために聖霊を願いましょう。まだイエスを知らない全ての人に、イエスとイエスの福音のメッセージを伝える望みを強く聖霊に願いましょう。そのために、まず、洗礼を受けて教会の一員になっているわたしたちが、聖霊の火で満たされる恵みを願いましょう。ルカが使徒言行録の中に描いている、初代共同体の兄弟姉妹のように。

祈り
(1998年、ヨエルの年の準備としてヨハネ・パウロ2世が作られた祈り。)
愛と平和の霊よ、来てください。
神の奥深さを知っている、教会の記憶と預言である、真理の霊。
ナザレのイエスを栄光の主、世の救い主、歴史の完成として認めるよう人類を導いてください。
愛と平和の霊よ、来てください。
沈黙と、耳を傾ける女性である乙女マリアの胎内で受肉した言葉、命の霊よ、
わたくしたちに様々な愛が現れた時、素直でいられますように。そしてあなたが歴史の中におく時のしるしを、いつも受け入れることができますように。
愛と平和の霊よ、来てください。