カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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2020年 聖香油ミサ

2020.12.18 (金)
2020年9月16日(水)浦和教会

主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主が私に油を注がれたからである(ルカ4・18)。

1.福音書の場面(強調する)
 お育ちになったナザレに来られたイエスは、安息日、いつもの通り、村の会堂にお入りになり、聖書を朗読するために立たれました。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次の個所が目に留まりました。
「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主が私に油を注がれたからである」(ルカ4・18)(イザヤ61・1)。

注意する場面(コメント)
*イエスはナザレで長年暮らし、育たれましたので、ナザレ人と呼ばれています。
*「ナザレに来られた」というなら、もう公生活を始めていて、カファルナウムの方に、特にペトロに家に滞在する方が多かったのではないかとも考えられます。
*そして「いつもの通り、安息日には村の会堂に入られた」と。つまり善いイスラエル人として、安息日をきちんと守るかた、村の会堂(教会=シナゴーグ)に入り、聖書の朗読と解釈を聞いていたのです。
*ところが、今回は、おそらく、めずらしく故郷に帰られたので、聖書の朗読とコメントをするように選ばれ、預言者イザヤの巻物が渡されましたのでしょう。
*イエスが朗読するために渡されたイザヤ書は、今私たちが手にしているような本ではなくて、皮の巻物に書かれていたのです。そして聖書の読み方の一つの習慣は、開いたとき目が留まった個所を読み上げ、コメントをすることでした。

イザヤの個所を読み上げたイエスは次のように語りました。
「この聖書の言葉は、今日、あなた方が耳にしたとき、実現した」と。
聞いていた人々は驚くとともに、彼はヨセフの子ではないかと、だんだん疑われてしまい、ナザレ、自分の故郷ではカファルナウムと違って奇跡を行うことが出来ませんでした。それだけでなくて、イエスの話が彼らを傷つけたので、彼を殺そうとして崖のところまで連れて行きましたが、イエスはそこを去っていきました。
*イエス自身も自分の故郷では神の国の実現のしるしを示すことが出来なかったのです。私たちにもこのような時が、思ったよりあるのではないかと思います。特に今年の新型コロナウイルスの中で。

2.2020年、特別な聖香油のミサ
今日は、さいたま教区ではいつも聖水曜日に捧げている聖香油のミサが、新型コロナウイルスの感染拡大により、このように遅くなり、教区のブロッグの代表者と若い助祭のみの参加で、信徒の参加もなく、捧げられることとなりました。ミサ後に聖香油を持って帰る準備のために、神父様方と助祭の方々に助けが求められています。そしてそれをブロック毎に持ち帰り、すべての司祭に渡してくださるようにお願いします。渡すときに、ブロック毎で集まって、これからの教会の歩みについて話し合うのもよいと思います。

東京教区では、去る14日(月)に「教会活動の制限緩和」が発表され、特に75歳という年齢制限については、9月19日(土)以降、行わなくしますと。制限は9月19日以降一段緩和され、ステージ3の対応となるとのことです。しかし、東京では、昨日、まだ196人の感染者がいました。
さいたま教区は6月中まで、東京教区と共に歩んできましたが、状況は東京と全く同じではないため、その後は、教区の一致を大切にするために、司祭たちと相談しながら、月毎に、わたくしから11回の方針(「対応」)を出しました。神父様方の多大な協力をいただけたことに心から感謝します。ありがとうございます。
貴重な機会ですので、ミサの後、聖香油のパック作業される以外の神父様方と、10月以降の「さいたま教区における教会活動の制限(せいげん)緩和(かんわ)」について、話し合いたいと考えております。今までの通り、司祭、助祭の皆様とよく相談して、教区の方針を決めたいと思います。

3.教皇フランシスコと日本の司教団と共に歩む
 今年の3月29日の主日に、聖ペトロ大聖堂の前に設けられたステージのテントの下に教皇様がお一人でお立ちになって、和解の道(コンチリアツィオーネ通り)の方に向かって語っておられる写真をご覧になったと思います。
広場の入り口には数人の警備の人しか見えません。雨が降っています、気温は11度とありました。この日は四旬節の第5主日であり、聖週間の前の日曜日でした。教皇さまが強調されたメッセージが次の個所でした。 
「私たちは同じ船に乗っています」
「私たちはみな同じ船に乗っています。みんな弱くて迷っています。しかし同時に、それは重要で、必要なことです。・・・パンデミックが起こしたことを、今までは戦争すら起こすことはできませんでした。聖ペテロ広場がこのようになること:執拗な沈黙に静まり返った広場・・・厚い雲が広場、道と街、すべてを覆っていきました。・・・この嵐によって、私たちのエゴが見せびらかそうとした、固定観念で変装し、塗り付けた化粧がはげ落ちてしまったのです。」と。
 私たちの信仰が弱くて、怖れ慄いているとき、今起こっていることを怖れずに受け入れる教皇の姿を世界中の人々が見ることができました。それは嵐の中でしっかりと立っている姿でした。

4.日本の司教団と共に、9月を「すべてのいのちを守る月間」と歩む
日本の司教団は、教皇フランシスコの訪日に応えて、毎年9月1日から10月4日までの期間を「すべてのいのちをまもるための月間」として定め、早速、今年から実施することにいたしました。各小教区にすでにお配りした「祈りのハガキ」に、日本カトリック司教協議会会長、高見三明長崎大司教の短い説明が載っています。今年は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う教会活動の制限のために余り呼びかけることが出来ないと思いますが、来年からは教区の中でも9月を「すべてのいのりを守る月間」として大切にしていきたいと願っています。司祭、助祭の皆様、どうぞ、よろしくお願いします。