カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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年件第24主日 マタイ18・21-35

2020.12.13 (日)
七の七十倍までも赦しなさい
(マタイ18・21−35)

赦しを実践しながら、キリスト教的交わりを築く

新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックの中を生きる
 新型コロナウイルス流行のこれまでの数ヶ月間をどのように生きたか、これからどう生きていけばよいのか、何度も自問してきました。私の視野はそう広くありませんし、マスコミからの情報はとても多く、どれが、どこまで、信頼できるものか見分けることは難しいのですが、その中で共有された情報として言えるのは、WHO(世界保健機関)による世界全体での感染者は、すでに2700万人、亡くなった方は90万人を超えたということです。

私たちは同じ船に乗っています(教皇フランシスコ)
 私たち人類が迎えているこの新しい状況、新型コロナウイルスの出現と加速度的な広がりを、どのように受け止め、生きればよいのか考えようとするとき、参考になる力強い言葉を見つけました。83歳になられた教皇フランシスコの、全世界の人々に向けての言葉です。それは3月28日のこと、雨の中、気温11度、あの広い聖ペテロ広場に誰もいませんでした。
 教皇フランスコは言われました。「私たちはみな同じ船に乗っています。みんな弱くて迷っています。しかし同時に、それは重要で、必要なことです。・・・パンデミックが起こしたことを、今までは戦争すら起こすことはできませんでした。聖ペテロ広場がこのようになること:執拗な沈黙に静まり返った広場・・・厚い雲が広場、道と街を覆っていきました・・・この嵐によって、私たちのエゴが見せびらかそうとした、固定観念の変装で身に着けた化粧が、はげ落ちてしまったのです。」と。
 私たちの信仰が弱くて、怖れ慄いているとき、今起こっていることを怖れずに受け入れる教皇の姿を世界中の人々が見ることができました。それは嵐の中でしっかりと立っている姿でした。

今日の神の言葉:人間の心の弱さ
 イエスの時代においても今の私たちの時代においても、人間の心は憎しみと暴力に晒されています。憎しみと妬みがある時、私たちの心は復讐の気持ちに囚われます。他の人たちにだけではなく、それは私たち自身にも危害を与えるのです。与えて受ける、真の赦しだけが、この世を変える力になります。残念ながら、家庭的、社会的問題を解決するために、暴力や復讐に趨る時、和解はありません。

あるべき従順と打つべき終止符(ラテンアメリカでの軍事政権の後)
 ラテンアメリカの多くの国では70〜80年代の軍事政権の後、恩赦と忘却の法が定められました。その法律を、「あるべき従順」、あるいは「終止符を打つ」とし、これに従わなければならないということです。このような法律が定められたことで、何千人もの人が殺されたり、行方不明になりました。その責任は軍とクーデター主義者にあります。このような形で勝手に自分たちを赦したのです。正義と真理を嘲笑ったのです。軍は抑圧によって、人々にたくさんの傷を負わせました。年月が経った今でも、多くの家庭や共同体にはその傷が治らないまま残っています。しかし、30年後、この法律が憲法違反であるという理由で、最高裁判所は「恩赦と忘却」の法律を無効にしました。これによって、多くの独裁者と軍とクーデターを起こした人たちは、裁判にかけられ罰せられました。赦しと和解は、真理と正義無しではあり得ない。これが欠けている時、傷口が開いたままの被害者は、簡単に復讐する者になるのです。

第一朗読:シラ書(集会の書)(27・30〜28・7)
 シラ書は、紀元前2世紀(197年ごろ)に出来上がったとされています。目的は、イスラエルの外にいる人たち、海外にいるユダヤ人たちが、律法と先祖の伝統に忠実であるように再確認することでした。それはヘレニズム文明の影響が広がっていったからです。ヘブライ語の原本はなくなりましたが、19世紀から今日までの間に、様々な場所で、断片的で、バラバラになっている原本が発見されたのです。紀元前132年頃のギリシャ語訳は、ベン・シラの孫によるものでした。おじいさんは学術的なヘブライ語で書いていました。孫はもっと品のある文化的な言語で表現しました。そして、人々にもっと近い言葉で、おじいさんが書いた生活の知恵を広めました。
 ベン・シラの知恵は、適切な人間関係をベースにして、どのように社会生活を築いていけばよいのかという内容です。旧約聖書の中で最も長い本の1つで、キリスト教の伝統の中で正式文書として認められ、昔の教会ではよく読まれていました。ですから、「集会の書(Eclesiástico, Ecclesiasticus)」と呼ばれています。
 今日のミサの中で読まれた短い箇所は、正しい人間社会を築くためには赦しが必要ということを伝えています。赦さない人間の心には「復讐心」が現れ、憎しみを生み、それが新たな復讐へと導く。だから残された唯一の道は赦しであって、それはキリスト者の共同生活の始まり。人間社会が必要としているものです。忘れてはいけないことは、犯した罪の赦しを得るためには他者を赦す姿勢が必要であるということです。

第二朗読:ローマの教会の信徒への手紙(14・7−9)
 イエスは生者と死者の主である。ですから、キリスト者として生きることは、イエスのように生きること、特に今、隣人を愛する。すなわち、主のために生きる人は、隣人を愛し、理解し、支えて赦す人です。

福音:キリスト者の赦しは無限である(マタイ18・21−35) 

 ユダヤの社会的環境の中で広がるキリスト教共同体の、熱いテーマについて、ペトロはイエスに訊きます。ペトロはイエスが提案している事柄について、もっと明らかにするように問いかけます。ペトロには、ファリサイ派や律法学者たちのような傲慢な姿勢でイエスを正し、ユダヤ教の正当な教えに反することを見つけてイエスを訴える、という姿勢はありません。
 マタイの共同体は「赦し」という課題を解決しなければなりません。それが共同体の生活に重大な影響を与えているからです。マタイは「赦しは神の慈しみから生じる恵み」であると言います。そして、そのためには、私たちの心が回心に開かれることを要求しています。すなわち、イエスが提案するように行動すること。復讐と暴力に囚われている、当時の社会システムに基づいて行動するのではないということです。

祈り:意向
1 国々の政治のために祈りましょう。正しい社会秩序を促進し、いのちの権利と全ての市民の自由を尊重するように。

2 教会のために祈りましょう。世界において、常に和解がありますように。平等と正義に基づいた世界を築くために協力できますように。

3 私たちの自身のために祈りましょう。私たち自身が侮辱された時にも、赦すことができますように。平和と正義の世界を広げることができますように。

主の祈り:
 イエスが教えてくださった祈りを唱えながら、赦す心と、誰かを傷つけた時に赦される恵みを主に願いながら終わりましょう。
天におられる私たちの父よ・・・