司教メッセージMESSAGES
年間第25主日 マタイ20・1-16
2020.12.20 (日)
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり(イザヤ55・6−9)ジョセフ・チェノットゥ大司教様への主の思いと道
今日の説教では、第二イザヤと呼ばれる箇所の、イザヤ預言者の言葉を借りて、チェノットゥ大司教様の葬儀ミサの中で感じたいくつかのことを、皆さんと分かち合いたいと思います。
2011年の東日本大震災の年から今日までの9年間、駐日教皇大使として奉仕されたジョセフ・チェノットゥ大司教様の葬儀ミサは、先週の木曜日(9月17日)に東京カテドラルにおいて行われました。YouTubeの録画を観たり、生放送で参加された方から、お悔やみの言葉と祈りが贈られました。当日は新型コロナウイルスの感染を配慮して、ソーシャル・ディスタンスが必要なために、参加者の人数制限がありましたが、皆が1つになっていることが感じられる霊的な雰囲気に満ちたものでした。(配列を変更してみましたが)
実は、先週、さいたま教区の皆様に向けての手紙を書き、チェノットゥ大司教様との出会いと、ご本人から受けた印象について分かち合いましたので、ぜひご覧ください。神様に、あの方を教皇大使として日本に送ってくださったことを感謝いたしますとともに、皆さんには、大司教様の永遠の安息をお祈りくださいますようお願いします。皆さんも、インターネットを通して大司教様の様々な写真を見ることができます。私にも、さいたま教区にとっても意味ある、何枚かの写真を載せる予定です。その中には、2018年9月24日、東浦和の明の星学園で行われた、私の司教叙階式の写真もあります。参加された大司教様が按手なさっている時の一枚もあります。
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なる」(イザヤ55・8)
昨年11月、教皇フランシスコが来日された時、食べる時間も、寝る時間もほとんど無しの4日間、巡礼マラソンでした。司牧訪問をされた後、ローマへの帰りの機内では、報道陣の長い取材があります。教皇が現地での印象を分かち合われ、質問にお答えになる時です。報道陣やカメラマンとの時間に追われる仕事、昼も夜もほぼ眠れずに、競争のように毎日教皇を追いかけなければならない。そして、その情報をバチカンの報道機関に送るのです。駐日教皇大使は、教皇様の新鮮なメッセージと行動を、世界に発信しなければならなかったのです。
この教皇来日の後に、チェノットゥ大司教様は日本を離れる予定でした。その次の任務は、どこになるのか分かりませんでしたが、そのまま日本に留まって、昨年、司祭50周年を祝われました。日本の教皇大使としての奉仕を終わり、75歳を迎えて今までとは違う、もう少し責任の軽い仕事をされることを考えていらっしゃったかもしれません。しかし、主は大司教様に違う思いを持っておられたようです。誰も予想しなかった時に、東京の聖母病院に緊急入院されました。その後、お元気になられたら、大司教様は故郷インドのケララに戻られる予定と大使館からは聞きました。数週間後、徐々に回復の兆しが見られ、帰国の希望が出されたのですが、9月8日、ちょうど聖母マリアの誕生のお祝い日に日付が変わって間もなく、別れの挨拶ができないままに、永遠の神の国へと旅立たれました。スペイン語のことわざ、「人が提案し、神が決められる。」の通りに。
日本との別れのミサ(東京カテドラル)
東京カテドラルでの葬儀ミサは、日本司教協議会会長・長崎大司教区の高見三明大司教様の主司式で行われました。高見大司教様は説教の中で、教皇大使の霊的な姿、神の人、教会の奉仕を強調されました。日本の国民すべてにとって、天皇陛下から子どもたち、そして様々な社会的地位の人にも、身近な存在であったことを。
ミサの終わりに、大阪の大司教であるトマス・アクィナス前田万葉枢機卿様が日本の司教団を代表して、すべての参列者、司祭、修道者、神学生と信徒、他のキリスト教団体と他宗教の代表の方々、日本政府の代表者、各国の大使の方々に感謝を述べられました。
枢機卿様は、教皇大使のご家族にお悔やみの挨拶をされた後、チェノットゥ大司教様との個人的なお話をなさいました。前田枢機卿様は、俳句を詠まれることで有名です。教皇フランスコによって枢機卿に任命された時、「デジタル宗教(Religión Digital)」の中で、俳句の枢機卿として紹介されています。こういう肩書きをいただくのは世界で初めてではないでしょうか。枢機卿様は、この俳句のコレクションを日本語と英語で出版するように勧めてくださった、チェノットゥ大司教様に感謝をなさいました。中身とそのメッセージを理解するために付けた、短いコメントによって、そこに現れるイメージを噛み砕いて、俳句を味わうことができるようになったことも含めて。
イエスのカリタス会のコーラスによって、ミサが復活の雰囲気に包まれました。多くの大使が聖体拝領をするために、中央通路に並んでいました。
私は今まで、教皇大使の葬儀ミサに参加したことはありませんでした。ミサが終わり、東京教区の神学生に運ばれていった棺に続いて、すべての司教がカテドラルの玄関に出ました。
大きな扉が開きました。白い制服に身を包んだ陸上自衛隊儀仗兵が、棺の両側に並んでいるのを見た時、私の心は感動でいっぱいになりました。棺が霊柩車に運ばれるまで兵士たちは敬礼の姿勢でいました。鐘が鳴り響き、教皇大使を乗せた車は大使館へ向かいました。そこから生まれ故郷のインドのケララに向けて出発するのでしょう。その後、私も追悼ミサに参加された各国大使たちを迎える黒い車の列の間を縫うようにして浦和に帰りました。
「旅する人には道はない、歩きながら道を造っていく」(アントニオ・マチャード)
今日の説教はいつもの通りではありません。つまり、年間第25主日(A年)に勧められている3つの朗読についてではありません。しかし、初めに申しましたように、第一朗読のイザヤ書に基づいての思いをお話ししました。主が、再びジョセフ・チェノットゥ大司教様を通して、伝えようとされたメッセージを分かち合うことができたのではないでしょうか。
アントニオ・マチャード、スペインの詩人の言葉をみなさんに届けます。神の民である私たちが、このパンデミックの中、兄弟姉妹としてもっと1つになる必要性を、日々感じながら歩み、それによって新型コロナウイルスが齎した、人類の大きな危機を乗り越えることができますように。
再びお願いします。私とさいたま教区の司祭と終身助祭のためにお祈りください。
教区のホームページを開くことが出来る方、どうぞ、そこに毎月掲載されている短いビデオ・メッセージご覧ください。
父と子と聖のみ名によって。アーメン。