カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

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ローランド・ピエール神父葬儀ミサ

2014.4.22
4月22日(月) 浦和教会 A.M 10:30




説教は、パリ・外国宣教会管区長・シェガレ神父

第一朗読 創世記(12:1 〜4)で読まれたように『父の家を離れて私の示す地に行きなさいと、主がアブラムに云われたように』ローランド神父さんも主の言葉に従って旅を続けました。
彼の故郷マシエル村は、ブドウ畑に囲まれた美しい地方です。
住む人々の優しさ、甘いワインの香り、フランス料理の美味しさ、8人兄弟で3人が司祭になりました。
『私が示す宣教の地に行きなさい』という声を聴いて、1951年に司祭に叙階されました。
パリ外国宣教会・神学校校長の評価は、『ローランド君は、勤勉で賢く、寛大で信頼でき、慎重でした』
船で日本に向かい、最初の二年間は静岡で日本語の勉強をしました。その後は、まだ司教区ではなかった「さいたま地区」に派遣され、それ以来ずっとさいたまの地で60年間専念しました。

いつでも出かけて、人と出会い、日本の料理や習慣に親しみ、分かち合い、真の宣教師でした。
信徒でない人の家にも出かけ、社会の様々な現場に足を運びました。
悩む人がいれば相談し、励まし助けました。カトリックだけでなく、あらゆる分野・思想・日本の文化を知り、社会問題にも興味を持って取り組みました。
不正を受けた人、抑圧された人々に共感をもって、ゆがんだ政治と経済に憤りを持ちました。
良き『歩く宣教師』の伝統をひきついで、神の愛を告げました。

今日読まれた福音(ヨハネ3:16〜17)は、彼が好きだった箇所です。
『神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである』
ローランド神父がよく言っていたのを覚えています。『裁こう、裁こうと思ったら、その10倍のエネルギーで相手を赦しなさい』と。
『愛とやさしさ』、この宣教の姿勢を受け継ぎ、福音の喜びを社会と人々に伝えていきましょう。」


アルスの家の責任者で、最後の数年を共に過ごした澤野神父は、ローランド師の天国への旅立ちの時を次のように話した。

「・・・ローランド神父は、いつも最後に、『ありがとう』と言いたいとおっしゃっていらっしゃいました。
フランスの神父様たちが、フランス語で声をかけたら『MERCI』と。
これが最後の言葉になりました。
16日の夕方、聖香油ミサで聖別した「病者の塗油」を受けられました。
17日朝、聖体拝領をなさいました。その日は聖木曜日でした。、
午後6時50分、信徒の方が傍でロザリオを唱える中で、息を引き取られました。」
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 告別式

教区管理者・岡田大司教 挨拶
さいたま教区内の15教会で働いていらしたローランド神父は、本当に多くの人に愛された司祭でした。また、宣教会の管区長もなさいました。
彼を日本に派遣してくださったパリ外国宣教会に、感謝いたします。

先日、大田原教会の司牧訪問に行った折、ローランド神父とともにミサを捧げることができました。宣教師としての働きに感謝いたします。


献花

参列した司祭・助祭団で、サルヴェ・レジーナ (Salve regina) を合唱。
聖務日課「終課」で歌われる 4つの聖母マリアのためのアンティフォナの内の一つ

出棺は、♪「復活の続唱」を歌いながら♪


ローランド神父のご遺体は、献体された。