司教メッセージMESSAGES
待降節第3主日 ルカ 3・10-18
2021.12.12 (日)
兄弟姉妹の皆さん、今日、早くも、待降節の第3日曜日を迎えています。今日の典礼では、フィリピの信徒への手紙4:4−7が朗読され、「主において常に喜びなさい。」なぜなら「主はすぐ近くにおられます。」、との聖パウロの招きが心に響きました。
同じように、第一朗読、ゼフィニヤの預言では、民の間に現存され、「喜んでいるように」と招き、敵の攻撃から守ってくださる神が強調されています。なぜなら、イスラエルは神から選ばれた民だからです(ゼフィニヤ3:14−18)。
そして、福音書は、神から遣わされた、メシアであるイエスの到来を受け入れる準備をしなければならないと、洗礼者ヨハネの呼びかけを中心に語られています(ルカ3:10−18)。
ですから、今日の説教では、クリスマスを準備するいくつかの習慣について考えます。我々と共にいてくださり、インマヌエルと呼ばれている幼な子イエスの誕生を祝うために、今年の降誕祭をどのように準備することができるでしょうか。
教会は、降誕祭のお祝いに向けて、私たちの歩みに寄り添い、キリスト教的な喜びの意味と味わいを再発見するように助けます。降誕祭の雰囲気を、クリスマスツリーを飾り、馬小屋の中心に幼な子イエス、庭に光、そして家の戸口に待降節のリースなどを飾るなど、伝統ある様々な要素で準備しています。
クリスマスの習慣
私は今66歳になったばかりですが、子どもの時、大分県の佐伯教会においても、アルゼンチンでも、待降節の第3日曜日には記憶に残る二つのことがありました。一つは司祭がミサのために着る祭服がピンク色だったことです。同じ色を四旬節の第4日曜日にも使います。
二つ目のことは、もしかしたら、多くの場所では今では失われているかもしれません。当時は、12月に入るとすぐに、幼稚園や日曜学校で早目のクリスマスをお祝いしていましたし、教会ではクリスマスコンサートが開かれたり、若者たちが老人ホームを訪問していました。
そして、カトリック教会では毎年、待降節の第3日曜日に、聖堂や教会の外の馬小屋に置くための幼な子イエスのご像を祝福する習慣がありました。しかし、現在では、仕事や日々の忙しさのため、クリスマスのノベナにはあまり教会に人が来ないことが現実です。そんな変化はあっても、24日の夜に向けて、家庭で祈り、また他の準備をすることは出来ます。
降誕節の間に新しい年を迎えます。新年の訪れをお祝いしましょう
日本では12月25日が過ぎた途端、街の雰囲気がガラッと変わります。古い年の終わりを祝い、そして新しい年を迎える雰囲気に包まれます。12月31日の夜、寺院では鐘を鳴らしながら古い年への別れを呼びかけます。そして、新しい年が始まり、人々は神社を訪れ、初日の出を見に行きます。
これに対して、キリスト者としては、新しい年の訪れを降誕節の中でお祝いします。イエス・キリストが新しい年を照らす新しい太陽です。将来に向けて準備を共にするための太陽です。
私たちの家族を神の家、ベツレヘムにしましょう
さいたま教区の司教として、皆さんが教会だけでなく、家庭でも馬小屋を準備し、小さくてもクリスマスツリーの下に、家族として一緒にキリスト教的なお祝いをするための他のものも準備する習慣を持っていることをとても嬉しく思っています。
特に、子どもがいる両親にお願いします。もし、クリスマスの雰囲気を作るための馬小屋の動物が足りなかったら、毎年段々に動物を買い足しながら、子どもたちにその祝いの意味を伝えてください。
できる限り、子どもたちに何か、未来への希望につながるような、サプライズのプレゼントを忘れないでください。子どもたちはきっと親の愛情を感じるに違いありません。
このように降誕祭を生きることによって、それぞれの家族がベツレヘムになりますように。そこに神がおられますように。そのような意味で、家庭にこそ、神の現存とその護りを思い起こす、宗教的な印があることが相応しいと思います。子どもたちが喜んで、自分の家は家庭教会であることを発見し、そこで祈りますように。特に、主の祈りやアヴェ・マリアを大切にし、それによって神が生きているということを実感できますように。
食べ物、健康、仕事などを毎日神に感謝しましょう。そして、同じ小教区にいる病人や亡くなった人たち、家族、隣人や友達のためにも祈りましょう。そして、もし、だれかが扉を叩いて食べ物や服を願うなら、恥ずかしく思わないで助けましょう。躊躇せずに、困っている、必要としている人を助けることができれば、神が私たちをいつも祝福してくださいます。