司教メッセージMESSAGES
復活の主日 ヨハネ 20・1-9
2021.12.4 (日)
皆さんに、ご復活のよろこびを申し上げます。昨年は新型コロナウイルスの急な感染拡大によって、聖週間の公の儀式を中止せざるを得ませんでした。私たちの間におられる、復活されたイエスの現存への信仰が、昨夜の復活徹夜祭の儀式のときから改めて燃え立ち、この復活節中燃え続きますように。
今日の説教では、ニケア・コンスタンチノープル信条の言葉を中心に、分かち合いをしていきたいと思います。
空(から)の墓について
イエスが葬られたことは福音書には淡々と記されています。イエスは本当に死なれたのだ、それも完全に人間としてであった、苦しく、全く希望のない死に向かう道を、最後まで、墓に至るまで受け入れられたと記されています。
しかし、疑問が湧きます。そのまま墓に留まったのでしょうか。復活後に墓は空になったのでしょうか。
近代神学では、この質問が度々討論されます。自然に言える結論は、「空の墓そのものは復活の証拠にはならない。」というものです。ヨハネによると、マグダラのマリアは墓が空になっている状態を見た。それで、誰かがイエスの遺体を運び去ったと考えました。
しかし、逆の質問もあるのです。遺体が墓に留まっている復活もあり得るのか。遺体が墓に在りながらイエスが復活された、ということがあり得るのか。それは、どのような復活でしょうか。
聖書学者によると、当時のエルサレムでは、墓に遺体があったとしたら復活の知らせは出来なかったはずだと言われます。ですから、空の墓そのものは復活を証明できませんが、復活の信仰のためには、体とイエスのペルソナ全体に関連づける必要があったのです。パウロの信仰宣言(一コリント15・1−11)によると、墓が空であったかどうかについては何も語っていません。しかし、それを前提としています。4つの福音書は復活したイエスについて様々な物語を告げていますが、すべて福音書で、空の墓のことが語られていることは、「空の墓」こそ、当時の人々がイエスの「復活」を信じる重要な鍵になったことを示していると思います。
「3日目」
ニケア・コンスタンチノープル信条では、「聖書にあるとおり3日目に復活し」(一コリント15・4)とあります。
「聖書にあるとおり」との句は、この句で始まる文全体にかかるものですが、「3日目」の表現は、「復活」は、生前のイエスの言葉が実現したものであることを宣言しています。旧約聖書では「3日目」に関して直接的な証言はありません。
このようにして、十字架の死の出来事の後の「3日目」は、弟子たちにとって、決定的な変化の出来事の日、「主の復活の日」となりました。ですから、「3日目」という表現は、それが、空の墓の発見に関連していること、復活された主との最初の出会い日であることから、キリスト教にとっては特別なものとなりました。金曜日から3日目である週の始めの日、日曜日は、新約聖書の時代から集会の日であり、キリスト教共同体の儀式の日とされていました。(コリント16・2、使徒言行録20・7)
これに対して、旧約時代には土曜日が最も大切な主の安息の日とされていました。その大切な安息日さえ放棄して、その代わりに週の始めの日を主の日として新しく設けたのです。特別な力が人々の魂に刻まれたので、週の宗教的文化を変えることができたのです。
ですから、新しい主の日の設立は、「空の墓」「イエスの復活」と深く結びついた、最初のキリスト教共同体からの伝統なのです。
イエスの復活に対する宣言についての違う伝統
復活されたイエスの出現について、4つの福音書では違いがみられます。それは、様々な伝説があったことを反映しています。イエスのあらわれた場所についても、エルサレムだったり、ガリラヤだったり。
マタイでは、空の墓の前で婦人たちに現れたこととガリラヤで11人の弟子たちに現れたことだけが書かれています。ルカは、エマオへの道すがらの出来事が詳しく述べられていますが、その他はエルサレムでの出来事だけを記しています。ヨハネはエルサレムとガリラヤでの出現について書いています。
イエスの復活そのものに関しては、どの福音史家も書いていません。これは秘密のうちに、神、イエスと御父の間で展開していったプロセスでしょう。そのプロセスについて私たちは、それを表現することはできません。それは人間の体験を超えているものですから。
最も重要な証人に婦人たちがいる
聖書によると、決定的な役割を果たしているのは婦人たちです。男の人たちに比べて優先です。十字架の下にいたのも、ヨハネ以外には全部婦人たちでした。復活されたイエスとの最初の出会いも女性でした。
これに対し、ニケア・コンスタンチノーブル信条に「聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会」と書かれている地上の教会は、初期の宣教がペトロたち11人の使徒が中心になって行われたことを反映し、組織的には男性が中心となっています。しかし、教会の現実の実践の場面では、いつも婦人たちが主に扉を開き、十字架に寄り添います。しかし、復活されたイエスには等しく出会います
この復活節を過ごす中で、特に、この1週間は、日々、復活されたイエスの様々な物語を読んでいきます。復活されたイエスに出会った人々の証言を聞きながら、私たちの信仰を確かなものにしましょう。新型コロナウイルスのパンデミックに晒されている現代世界においても、生きたイエスの証し人となれますように。
最後に改めて、主のご復活のよろこびを申し上げます。