カトリックさいたま教区/CATHOLIC SAITAMA DIOCESE

司教メッセージMESSAGES

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復活節第6主日 ヨハネ 15・9-17 世界広報の日

2021.12.9 (日)
兄弟姉妹の皆さん
 今日、復活節第6主日に、教会は、第55回世界広報の日をお祝いしています。今年のテーマは「来て、見なさい(ヨハネ1・46)」です。教皇フランシスコは、特に、このパンデミックの時、新型コロナウイルスの感染を避けるために、ソーシャルディスタンスを守らなければならない、そのような時に人とのコミュニケ―ションを取れるようにと、そして、地域、あるいは世界レベルで、社会状況に関する情報を共有し、繋がるために、様々な手段を利用するようにと招いてくださっています。

 近年、世界レベルでコミュニケーションのシステムが発展しています。技術の進歩と、それへのアクセスが簡単になっていることによって、毎日の出来事がすぐ私たちに届きます。確かに私たちに提供されているものは大きい。しかし、もう一方で、それは私たちの良心を悪用する大きな力の武器ともなります。例えばニュースセンターが例に挙げられます。それが正しく機能しなければ、私たちは間違った方向へと向かわされ、私たちは個人としてだけでなく、国、あるいは世界レベルで騙される可能性があるのです。権力者はイデオロギーや自分の都合に合わせて、世界の動きをコントロールしようとします。多くの悪事、戦争、弾圧、殺害、武器の売買、それは権力者の中に君臨する悪の力の仕業です。しかし、私たちはキリスト者として、悪が人間の弱さの中で働くと確信しています。ですから神は御摂理によって私たちを支え、共通善のために闘うようにと私たちを励ましてくださいます。

 私たちは、神の御摂理に触れた人は変えられ、罪人から、最も困っている兄弟に仕える謙遜な奉仕者へと変えられることを知っています。かつて、イエスに従った多くの人たちと同じように、私たちは、神の国のために、時間、知識、お金、自分の人生そのものすら献げることを選ぶことが可能になるのです。

 このパンデミックの時こそ、私たちは教会共同体として深く結ばれたものであることをもう一度思い起こし、お互いに繋がっていられるように、マスコミの手段を上手に利用しましょう。

ペトロはコルネリウスのところへ出向いて行く(使徒言行録10章)
 私たちは人類の一致のために、共に働かなければなりません。今日の第一朗読は、文化や宗教の違い、価値観の多様性を見つめながら、人類が一つになる世界の建設のために、共に働くことの大切さを教えてくれています。当時のユダヤ人たちは自分たちだけが神から選ばれた民なのだと信じていて、他の民族を異邦人とみなしていました。イエスの弟子たちも、ペトロさえそうでした。私たち人類は、ナショナリズム枠を壊し、宗教の違いを超えて、全ての人を神の子として受け入れるのに、どれだけの年月がかかるのでしょうか。

異邦人にむけてのペトロの回心
 ペトロとその共同体の仲間はまだクリスチャンと呼ばれてはいませんでした。彼らはイエスとの体験で動かされていたものの、ユダヤ人でしたので、ユダヤ教の法律を守り続けていました。異邦人と交わらないことも聖なる律法として、みんなが守っていました。守らなければ汚れたものになり、彼らと接する度に自分を浄める面倒な儀式が義務付けられていました。
 しかし、ペトロはいくつかの前向きのジャンプをしました。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒10・34〜35)。20世紀にわたるキリスト教の歴史を謙虚に振り返るとき、そこに遺された多くの宣教師たちの姿勢にはパウロの回心とは反対のものがしばしばあったことを私たちは否定できません。

「移民や難民を受け入れるように」との教皇の呼びかけ
 第二バチカン公会議(1962年−1965年)の考え方は、実に、使徒言行録のペトロの姿勢に沿っています。第一朗読の内容も、今年の「第107回難民移住移動者世界の日」に向けての教皇メッセージの内容も同じ呼びかけになっています。
具体的に申しますと、教皇フランシスコは教皇となられた時から、毎年、仕事や自分たちと子どもの生活の場を探しながら移動する人たちを受け入れるよう、強く呼びかけています。
 経済的に豊かになった日本を目指して、外国からの移住者や移動者が目立つようになっておよそ半世紀になりました。島国で、外国と陸地では繋がっていない私たち日本の国民にとってはどのように外国から押し寄せる人たちを受け入れ、ともに暮らしたらよいかは、日本の社会にとっても、日本のカトリック教会にとっても大きな課題になったのでした。そして、幸か不幸か、さいたま教区はその挑戦を受けた代表的な教区となりました。
実は、工場の新設が続き、急激な労働力を必要とすることになった代表的な地域の一つは北関東でした。フィリピンから始まって、ブラジルやボリビヤなどの南米の諸国から、祖先が日本にルーツを持つ人たちが優先的に入国できたため、カトリック教会は突然、英語や、タガログ語、スペイン語等々、外国語を母国語とする信徒で溢れかえる事態となりました。さいたま教区にとってのとてつもなく大きな課題となりました。岡田司教(後に、東京大司教)、谷司教を中心として、司祭や助祭、修道者信徒の皆様が協力された結果、教皇様が望まれているような姿の教区が実現しているのを目の当たりにして、思いがけずさいたま教区司教となってそれを見るわたくしはとても感動しています。皆さんへの尊敬と感謝を申し上げたいと思っています。
 そして、さらに、新しい状況、特に新型コロナウイルスとの戦いに直面している現在、聖霊は教会に何を促しているのかに思いを馳せ、あるいは遠く離れた場所で苦しんでいる兄弟姉妹に気づいたときは、勇気をもって行動を起こしましょう。

 このように、イエスが最後の晩餐で霊的遺産として残してくださった新しい愛の掟を、私たちの福音的姿勢を通して新たにすることができますように。
「私の愛にとどまりまさい。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15・9、12、17)。