司教メッセージMESSAGES
復活節第4主日 ヨハネ 10・27-30
2022.12.8 (日)
兄弟姉妹のみなさん、今日は復活節の第4主日です。伝統的に「良い羊飼いの日曜日」と言われています。この日曜日には羊のために命を与える、良い羊飼いであるイエスのことが読まれるからです。そしてまた教会は、この日を世界召命祈願の日にしています。全ての信徒が召命のために、特に司祭と奉献生活者のために祈ります。
しかし忘れてはいけないこと、この日曜日は「母の日」です。私たちみんなのお母さんの健康と意向のために祈りましょう。
今日は福音の黙想の前に、最初の二つの朗読に触れます。そこには教会のメッセージを強調するための助けになるものがあります。第一朗読ではパウロとバルナバを通して。そして第二朗読のヨハネの黙示録によって、神の小羊であるイエスの姿が描かれています。
第一朗読(使徒言行録13・14、43-52):パウロは福音宣教の新しい道を歩み始める
今日の第一朗読は、パウロとバルナバの福音宣教の発展を紹介しています。そこに、福音が広がっていくプロセスを確認することができます。具体的な場所として、良い知らせが宣言されるのはユダヤ教の集会所です。その手段は、当然ながら旧約聖書。そこに約束があり、その約束を現実として確認するのが、イエスの死と復活の宣言です。
これによると、受け入れる対象者は元々、イスラエルでした。そのようにパウロが指摘し、他の人たちもそれを確認します。この新しいメッセージは、確かに多くの人たちから受け入れられます。しかし、パウロの教えを暴力的に拒絶する人がいます。パウロより前には、ペトロと他の人たちも。
その拒絶は、公式にメッセージを受け入れないだけではなく、ユダヤ人でありながら新たな道に回心して、シナゴーグに参加したい人たちに対する追放と脅威でした。
さまざまな困難に直面した福音宣教の起源は、このようなことでした。異邦人の使徒と言われているパウロは、どのように道を切り開いてイエスの福音を宣言し、国境や人種、社会的地位などの枠を越えて世界に知られるようになったのでしょう。
それは、イエスの復活がもたらしたものです。全ての人への神の愛の良い知らせ、イエスの父の全ての守りと導きによって、イエスが人類を贖ってくださったことを知ること。それがイエスの復活の実りです。
ですから、パウロとバルナバが始めた、この新しい福音宣教の道に応えるために選ばれた詩篇は、100番「わたしたちは神の民、その牧場の群れ」。確かに私たちもその新しい民です。この民のメンバーとして証人として、イエスとその福音をパウロとバルナバの熱意をもって、宣言しなければなりません。
第二朗読(黙示録7・9、14b−17):子羊が牧者である
第一朗読に合わせて第二朗読のヨハネの黙示録は、新約聖書でイエスが啓示されている神の新しい姿を、詩的でシンボル的に描いています。例外なく、イエスの父は、全ての人の父である神である。小羊であるイエスが設定した新しい現実に、全ての人が受け入れられています。なぜならイエスにおいて、すべての人間的な壁、人間が作って隔てた壁を乗り越えられたからです。分裂や拒絶はもうありません。イエス・キリストにおいて、みんな兄弟姉妹として受け入れられているからです。屠られた小羊が、選ばれた全ての人たちを生きた水の泉に導くでしょう。この羊飼いと羊のイメージは、このような都市文化の中にいる私たちにとっては身近ではないのですが、少し努力すれば、ヨハネが伝えようとしていることを理解できるのではないでしょうか。
福音(ヨハネ10・27−30):イエス、羊のために命を与える牧者
ヨハネは、イエスを描く時に、羊のために命を与える良い羊飼いとして紹介しています(ヨハネ10・28)。羊飼いのイメージは旧約聖書に基づいています。そしてキリスト教の伝統にもよく表わされています。預言者たちは、将来のダビデの子孫に対して「イスラエルの牧者」という呼び方をしています。従って、疑いなくメシア的な重要性を持っています。イエスはイエスラエルの本当の牧者です。人の子であるから、新しい命を与え、救いに導くために人間になられたからです。
「わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、」(10・28)。その前にイエスは「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(10・11)と言われています。
キリストは、羊である私たちのために十字架に掛けられて命を与えた、本当の良い羊飼いです。羊飼いは羊を知り、羊も羊飼い知っているのです。
この「知る」ということは単なる知的な意味の「知る」ではなく、深くパーソナルな関係で、心から知る、愛し愛される、互いに忠実であり、互いに信頼し合う、愛に基づく関係です。それによって羊飼いは自分に従うように招き、永遠の命を約束するのです。
私たちの司祭のための祈りを願います
私たちの司祭のために祈ってください。キリスト者の生活の源と頂点であるご聖体に常に養われて、ふさわしい司祭であるように。祭壇に近寄り、イエスの思いを持って、委ねられた羊のために命を与え尽くすことによって、イエスとの一致を強めることができますように。
司祭たちが、それぞれが持つ愛と魂の救いへの情熱を、生活と司牧奉仕に生かすことができますように。
全ての小教区やキリスト教共同体で、召命に対する関心が高まるよう願い、そして、司祭養成のために祈ってください。それは家庭から始まり、教会の共同体生活の中で養われ、神学校まで続きます。そして、司祭の叙階の後まで、正確には生涯続くものです。いつも忘れず祈ってください、
今日私たちの社会では、母の日をお祝いしています。主が全ての母、特に司祭と奉献生活者の母を祝福してくださいますように。キリスト者の母、信仰を持っている母たちが、子どもたちに信仰を伝える最初の人です。子どもたちがイエスと出会って小教区共同体に入るよう、信仰生活の証し人として、子どもたちが小さい時から同伴することができますように。
最後に、兄弟である司祭たちに対する招きについて。神の恵みによって私たちが内的に変化できるよう、イエスの母が助けてくださいますように願いましょう。イエスが私たち司祭に委ねた群れを、喜びを持って知り、導き、愛する使命を果たすことができますように。
次の共同の祈りで終わりましょう。一緒に祈りましょう。
羊のために命を与える良い羊飼いとして、御子をおくってくださった私たちの父である神よ。あなたの心を持った牧者たちを多くおくってください。イエスの模範に励まされ、今という時が求めている新しい道に、自信をもってあなたの民を導くことができますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン。